与那国島 6

岩陰に眠るヒロインたち

民宿の庭からティンダハナタ(手のひらのような絶壁−池間苗さんの説明)を望む

祖内部落の入り口、十山橋辺りからティンダハナタを望む

サンアイ・イソバとは、1500年ころ与那国島を支配していた女傑。サンアイは当時もっとも栄えていた村名、イソバは女酋長の名。

4人の兄弟たちを各集落の按司に配して、中央集権的な支配を行っていたという。

1486年、中山王の命により恩納親方安治が八重山に至り、赤峰の信奉していた邪淫な信仰を禁止し、1500年に赤峰の反乱が平定されてのち、仲屋金盛を大将とする宮古軍が与那国に侵攻した。

女傑振りを発揮してイソバはこの軍を迎え撃った。一度、仲屋はイソバに捕らえられたが、一命を取り留め目的を果たさず脱出した。

イソバは3年かけて舟を建造し、石垣島に渡り金盛の腕を切り落とし、兄弟の仇討ちを果たした。

イヌガンとは犬神と書く。王朝時代、久米島から中山王への貢ぎ物を積んだ舟が嵐にあい、漂流して与那国島にたどり着いた。舟には男たちと一人の女と犬が乗船していた。島で男たちは次々と犬にかみ殺され、久米女と犬だけが生き残った。ある日、小浜男が潮干狩りにやってきてその話を知り、犬退治をして二人は夫婦になり、5男2女を生んだ。その後、男は、しばらく小浜島の元の家族のもとへ戻り、その後再び、女の元に帰ってきた。年月がながれたある日、小浜男がかつて犬の死骸を埋めた場所を女に喋ると、女は家出し、犬の骨を抱いて死んでしまった。やがて与那国島は、この子らから栄えるようになったという。

かつて、宮古島軍の大将仲屋は、イソバ制圧に失敗した。しかし、このイヌガンの昔話には、小浜男によるイヌガン=邪淫な信仰に対する制圧の歴史がコンパクトに語られているように思う。

与那国島の十山お嶽を総本山とするお嶽信仰は、こうして定着していったのだろう。とかく「おもろさうし」は古代沖縄の人々の神観念を示すものと捉えられているけれども、その背後には、信仰の正当性をめぐる宗教戦争がある。

(更新 6/23/2002)

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