(まこの本棚) 

『過労自殺の原因分析

精神科医南雲與志郎鑑定意見書集』

  過労死弁護団全国連絡会議(2006.10)

 著者である南雲與志郎さんは北海道出身の一九二九年生まれ。東京大学で心理学と精神医学を学ばれ、七六年には岡山市浜にある林病院の院長に就任され、八二年から〇二年まで財団法人林精神医学研究所理事長を務められ、理事長退任後は、岡山市瀬戸町で「せとメンタルクリニック」を開業されている。


 本書は、過労死弁護団全国連絡会議が昨年一〇月に編集・発行したもので、これまでに南雲さんが鑑定意見書を提出してきた八つの事件が紹介されている。それらは、(1)「川崎製鉄水島製鉄所・渡邉事件」(一九九一年)、(2)「オタフクソース・木谷事件」(一九九五年)、(3)「クラレ倉敷工場事件」(一九九六年)、(4)「釜石市立平田小学校・菊池事件」(一九八三年)、(5)「トヨタ自動車・田島事件」(一九八八年)、(6)「三井造船玉野事業所・荒蒔事件」(一九九九年)、(7)「中部電力・藤田事件」(一九九九年)、(8)「九州カネライト・金谷事件」(一九九九年)である。八事件は各章に分けられ、各章には、南雲さん自身のコメントと担当弁護士による解説が付された後に、南雲さんが提出した鑑定意見書が掲載されている。しかし、事件によっては、さらに「補充意見書」「再補充意見書」「再々補充意見書」まで提出されたケースもある。


 「過労自殺」で夫や息子を失った場合、遺族が精神的に立ち直るには時間がかかるし、遺族が、最寄りの労基署等(地方公務員の場合は地方公務員災害補償基金)へ遺族補償を申請しようとすれば、申請者の方で被災者の自殺が業務起因性のものであったことを証明しなければならない。しかし、被災者はすでに死亡しているのであるから、遺族側にとって立証は大変困難である。労基署等は申請を受け付ければ、雇い主の方にも被災者の就労実態に関する資料提出を求め、双方から提出された資料に基づき、自殺と業務の因果関係の有無を判定することになる。ところが雇い主側は、労務管理には問題はなく、自殺が業務外の事情に起因することを示すような資料を提示することが多い。そうなると、遺族側は、雇い主側が提出する資料の嘘を論破するような証拠を提出しない限り、労基署等は労災認定を下さない。八事例の中で、(1)(3)(4)(5)(6)(7)(8)の場合は、労基署等が、自殺の原因を業務外の原因によるものであったと判断を下している。その結果、争いは長期化し労災認定の道は遠のく。


 だが、本書を読むと、争いを長期化させている原因は、労基署や雇い主側にあるだけではなく、労基署から鑑定を委嘱されたり、雇い主側の弁護士からの要請で鑑定意見書を提出する精神科医にもあることが判る。


 (5)の「トヨタ自動車・田島事件鑑定意見書」の場合、名古屋地裁は南雲意見書を支持し、平均人基準説を退け本人基準説を採用し、労基署の判定を覆し過労死が業務に起因することを認めた。しかし、トヨタ側は名古屋高裁において、その地裁判決を覆そうとして、我が国の精神医学界を代表するそうそうたるメンバーによる意見書を提出している。


 だが、名古屋高裁も南雲さんの意見書や補充意見書を支持し、国は上告せず、高裁判決が確定した。この判決は、「過労自殺」に関する現行の厚労省が定めている「判断基準」の不備を指摘する画期的な判決だと言われている。


 南雲さんは、各意見書の中で、過労自殺が業務外に起因すると主張する医師たちに対して、「疎漏な事実認識に基づく誤解や曲解に対応するのは煩瑣に耐えない。」(155頁)、「架空の精神医学的考察など評論に値しない。」(157頁)。「標準的、平均的な労働者を想定して、抽象的に疾病を考えるという発想は臨床医学にはない。疾病は常に具体的に、個人にかかわる事象であり、個々の事例が掛け替えのない絶対性をもつからである。」(196頁)、「本件の会社側資料を読むかぎり、主任昇格して以後の真二さんの業務は軽減されており、職場の人間関係にも問題なく、順調にゆったりペースで進行していたという印象を受ける。これに基づいて地方労災医員協議会の意見書は書かれている。」(257頁)などと記し、鑑定医たちが、企業や行政の立場からではなく、臨床医としての専門家の立場に立つよう、厳しく指摘している。


 そして、南雲意見書は、一事例ごとに、従来の鑑定医たちの「常識」を超えて、粘り強く綿密に、被災者の全生活と自殺との関係性を時系列的に再現し、自殺と業務の因果関係を、平明な言葉で立証している。そして、精神科医としての誠実な分析手法は、裁定者ばかりでなく、相手側の鑑定医たちの良識をも喚起し、多くの事件において労災認定を勝ち取ってきたのである。


 南雲さんの「意見書集」は、私たち一般の地域住民にも、判りやすく書かれている。私たちは、本書を通じて、業務上の過労と自殺との因果関係や、それを生みだし、責任を回避しようとする雇い主側の人権意識の後進性、さらには、いま政府が導入しようとしているホワイトカラー・エグゼンプションの危険性を学ぶことができるし、また、南雲さんの医師としての態度は、わたしたちに困難な課題に立ち向かう知性・勇気・正義感をかき立ててくれる。本書は、県内の企業・学校・行政などで労働者の健康管理に責任を持つ立場にある人々にも、是非、購読を勧めたいと思う。(明楽誠)


※最終稿は「人権21」(2007年4月号)誌へ寄稿。