与那国島 5

祖内部落の散策−公的施設や記念碑

与那国町伝統工芸館。花織の見学して、おみやげも買った。

与那国民俗資料館。館長の池間苗さんと1時間くらい雑談。医師であったご主人、故栄三氏著『与那国の歴史』も購入。(更新6/25/2002)

与那国は島唄も有名。ナンタ浜節、与那国スンカニ、与那国ぬまやー小節など。

十山(とやま)神社(お嶽)。与那国島には12カ所のお嶽があり、その総本山を十山お嶽、トヤマと称している。各お嶽には専属の側司(スバカ)、十山お嶽には大司(ウブカ)がいて側司たちを支配していた。商工会が作成している与那国紹介ビデオ(これも購入)にも、この境内で奉納される、舞踊が紹介されている。是非一度、見物したいものだ。

祖内部落は、16世紀初め、西表島から移り住んだ人々によって開かれたようだ。

だが、そこには、先住民たちとの、血で血を洗う武力闘争の過程があった。境内で奉納される舞にも武器を用いたものもある。それは、武力制圧の歴史に由来するものなのだろう。

一見、平和的に見える琉球王朝における士族支配の前史には、こうした武力闘争があったのだ。

しかし、一度武力制圧が完了したのち、士族たちは武器を携帯しないで民衆を支配した。この沖縄特有の平和的支配は、お嶽信仰という問題と連関させるのでなければ、解明できないだろう。伊波普猶のいう「おもろさうし」(第1巻編集は尚清6(1531)年)についても、民俗学的視点からだけではなく、政治思想史的視点からのイデオロギー分析が必要だと思う。琉球王朝時代の政治的支配については、興味がつきない。

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