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第二日目の報告

シンポジウム

東アジアの儒教

--21世紀の思想史的研究
 2日目は、4名の報告をもとにしたシンポジウムが企画されていた。私は、飛行機の都合もあり3時に会場をでたので、報告のあとの討論内容はしらない。
○大会実行委員会の趣旨説明○
 まず、開会にあたって主催者から趣旨説明があった。その大要は次のようであった。
 ここ10年ほど日本・中国・韓国の学術交流が飛躍的に発展しているが、本会では初めて国際的シンポを企画した。それは「「儒教」という視座が、日本思想史を私たちが総体として対象化するのに有効」「東アジア世界の中にあて、日本思想史が如何なる位置にあるのかを検証するのに「東アジアの儒教」は、真っ先に取り上げられるべきテーマである」(要旨、19p)からだ。
 日本思想史という学問は、「近代の時代性を殊更に強くおびて成立転回した学問であった」。津田左右吉の儒教非本質論は、儒教を国民道徳として宣揚しようとする潮流に異義を唱えるものであり、丸山思想史の根底にはファシズムを許さない市民社会の希求があった。「今日、儒教(新儒教)を語ることは、私たちが育んできた日本思想史という学問の再吟味」を行うことである。
 津田や丸山の思想史=20世紀の思想史研究において、「儒教は「シナ思想」、封建的思惟の原像といった、固定的な姿で提示され」「「西洋思想」なる理念型を前提に「日本思想」の特殊性を論じる論法と変わ」らない。
 「日本思想史の枠外」で、朝鮮でも中国でも「儒教が各々に展開していったのは勿論」であり、21世紀には各国の研究者が、これまでの研究(日本思想史の場合と同じく、あるいはより強烈に20世紀的制約を受けている)を共有することで、「ナショナルな枠をこえた「東アジアの儒教」の全体像」を模索してゆきたい。
 
 この学会は昨年の大会では、丸山思想史の総括を試みている。その内容もいずれ検討してみたいと思うけれども、主催者の課題意識の具体的内容は、次の4本の報告においても、自ずと表れていたように思う。

中国における宋理学研究の方法、視点とその趨向

(北京大学 陳 来氏)
 陳氏によれば、中国の学会では「儒教」ではなく「儒学」「儒家」の名称をもって、孔子以来、宋明理学も含めて表現するとのこと。1930年代初期に宋明理学をさして「新儒学」Neo-Confucianismと表現するようになったが、今日でも多くの学者は、宋代以降の儒家思想を「理学」「道学」と呼んでいる。
 中国での儒家、儒家思想の研究は、一部の例外をのぞけば「哲学」として大学や研究所で研究されている。そのために「社会歴史の立場からの儒学研究」がかなり疎外されている。「中国の儒学研究は「哲学史の研究」が主導であって、「思想史の研究」が主導ではない。」
20世紀の宋明理学研究の歩み
○20年代末から40年代末まで
 1915〜20までの「新文化運動」の影響で、「西洋の近代文化を強力に導入しようと主張する文化啓蒙主義と儒家の思想文化を強く批判する文化批判の潮流」が主導していた。その時代の宋明儒学研究の3つの方向。
1 「西洋哲学の範疇、問題を利用して新儒家の哲学に関する分析的な哲学史の研究」を行ったもの。馮友蘭『中国哲学史』下巻。
2 「古典の実証的方法を以って人物やテキストに関する史学的研究」を行ったもの。容肇祖早年の『朱子実紀』『朱子年譜』。
3 「批判思潮と啓蒙思想の思想史的研究」。その中には、マルクス主義によるものと、新文化運動の啓蒙主義によるものとがあった。
20世紀後半の50年
○「文革」(1976年)以前
 「ドグマ主義のマルクス主義は儒学を歴史化、イデオロギー化させ、儒家の思想を現代革命の阻害と見做し、儒家思想と宋明理学に対して厳しい批判を」行った。「勿論、歴史唯物論の角度から宋明理学に対する批判は有意義なとこだと思い、特に政治、経済、制度、階級などの社会歴史の背景から理学の特質を抽出するのは、今までの社会歴史方面の研究を軽視するやり方に対して一種の是正だと思う。しかし、学術が政治に妨げられたので、総合的にいえば、ドグマ主義の態度がこの時期の宋明理学に関する学術的研究を弱めた」。
○ポスト「文革」の時代
 「儒学研究には根本的な変化が現れた。」「儒学に対する態度は全面的な批判から弁証法的肯定となり、儒学を「外在的に捉える」ことから「内在的に理解する」ことへと深化し、儒学についての研究は「哲学の研究」から「文化の研究」に拡大した」。「儒学に関する学術的な研究は顕著な成績を上げ、宋明理学に関する全面的な研究は長足の進歩をしてきた」。
 80年代は主として朱子学研究が行われ、90年代には陽明学研究が注目される。
○「「儒学を歴史化」させるとは、つまり「五四」新文化運動以来、中国啓蒙主義思潮と社会主義思潮の共通した主張であると同時に、ウェーバー(Max Weber)の影響を受けた西洋の学者Joseph Levensonの主張でもあった。彼の主張は、儒学が歴史の産物であって、儒学が依頼していた歴史基礎がすでに存在していない、儒家が死んだ、儒学はすでに歴史となってしまった、儒学はすでに博物館の中の物事となった、という考えである。」
○「儒学の「イデオロギー化」というのは、儒学或いは宋明理学をただ当時のある特定の制度または統治集団の弁護をなすもの、歴史上のある特定の階級を代表するものとみなし、宋明理学の思想・知識上の相対的自主性を完全に抹殺する、という主張である。」
○「ソビエトのドグマ主義の研究方法から影響を受けたせいで、30年代以来、主流を占めていた「哲学史研究」自身がねじられた形となった。つまり外在的存在として「唯物-唯心」の問題は最も重要な基本問題となって、更に研究者が離れてはいけない疑ってはいけない基本的な枠組みとなってしまい、中国哲学固有の特徴を客観的に描き出すことが無視されていた」。
○80年代半ばからの「文化ブーム」の中で、「儒学についての文化的研究」が盛んになり、「儒学と現代化」の問題が集中的に注目を受けた。「例えば、民主主義に対する儒家の反応、科学技術に対する儒家の態度、儒家倫理と経済倫理、儒家とマルクス主義、儒家と自由主義も儒家と人権問題及び儒家とキリスト教の対話などの問題があった。」
中国社会の特質と宋明理学との関連
○「中国の理学(新儒学)は慣習として宋明理学と呼ばれるが。これは理学が宋代に発生して元代から明代にいたって、発展してきたからである。しかし、新儒学運動の発端は唐代にすでにあった」。
 「中唐以降、門閥豪族が打撃を受けたので、社会の経済は貴族荘園制から中小地主と自耕農が主とする経済に転じた。中小地主と自耕農階層出身の知識人が科挙制度を通じて政権や文化機関に進出し、国歌官僚とエリート。つまり従来中国社会でいわゆる「士大夫」の主体となった。魏晋以来の貴族社会に比べると、中唐以降の社会発展の趨勢は平民社会の発展だと言える。」(この箇所に関して、後ほど池氏から、従来の丸山氏が見のがしていたいた観点であるとコメントされた。
 文化面では、「新禅宗運動」(六祖慧能が開祖)「新文学運動」(古文運動)「新儒家運動」(韓愈、李翔)の3つの運動が発展し、これらの運動は北宋まで続いて、宋以降の中国文化を主導する主要な形態を形成した。
○「唐・宋以来の中国社会の特質及びそれと宋明理学との関連という問題については、歴史学者の意見は一致しない。私個人として次のように考えたい。つまり、貴族荘園制経済から中小地主と自耕農が主とする経済へと変わって、中小地主と自耕農階層出身の知識人が科挙制度を通じて「士大夫」の主体となった。このような社会変革と中唐以来の文化の変化と連動した結果が新儒家出現の歴史的背景となった。内藤湖南が唐から宋への社会変遷を「近代化」だとまとめ、唐から宋に交替する際、中国はすでに近代化に入ったと指摘したが、このような論断には急すぎたところがあると思う。なぜかというと、一般的に理解されている近代化の経済的基礎--工業資本主義はそ時まだ現れていなかったからである。このようにいうけれども、唐宋交替時期の中国社会では確かに相当深刻な変化が起こっていた。思想文化上の宗教改革、古文の復興、儒学の再構築など、これは全て新時代に相応しい文化景観だと思われる。これは、工業文明と近代科学を基礎とする近代化ではないが、これは西洋の中世期の精神に類似するようなものからの脱出であって、一種「亜近代の理性化」であり、中唐から北宋までに安定し確立した文化のこの変化はこの亜近代過程の中の有機的な一部分だと理解していいと思う。若し西洋の事情を参照するならば、この亜近代の文化形態は西洋の中世期と近代文明の間に存在する一つの中間形態と見なしてよい。その基本精神には世俗性、平民性、合理性が特徴として際だっている。この意味からいえば、今までのように、理学を封建社会後期の国家イデオロギーと見なすのではなくて、中世期の精神から脱出した亜近代の文化と精神の現れだとみなすべきである。」(要旨、26p)
「新儒学」概念の優越性
 「中国の学者は往々にして「東アジア」に対する明晰な、弁別的な意識を持っていない。(この表現も、中国の研究者としては新たな視点だとの、池氏からのコメントあり。)私が『宋明理学』の中に李退渓の一節を加えたのは、次のようなことを意識していたからである。つまり、「理学」はただ中国の思想ではなくて、韓国の思想でも日本の思想でもある。韓国と日本の新儒学はかつて理学思想の発展に創造的な貢献をしていたので、それらの貢献を展示すべきである。これで、理学体系が持っていたすべての論理的関節とその思想的発展の可能性を最大限に提示できると思ったからである。けれども、朝鮮時代と徳川時代の朱子学と陽明学は広い意味において理学または新儒学と称してよいが、宋明理学と称してはいけない。
 中国における宋明理学研究の推移を分かりやすく説明され、たいへん勉強になった。ただ、陳氏の新儒学運動を「亜近代の理性化」だという捉え方は、従来の儒学の「歴史化」に対する、反動という面がありはしないだろうか。陳氏の指摘する「世俗性、平民性、合理性」は、近代に固有のものではなく、前近代、とりわけ封建社会においても指摘し得るのではないか。陳氏も、批判しつつもWeber的な歴史観に囚われている面もあるのではないだろうかと思った。(10/31/00)


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